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2010年09月10日

太宰府天満宮 歴史2

実は、太宰府天満宮の近くに、戦艦の甲板を使った門がある。

戦艦の名前は、「定遠」。清国北洋艦隊の旗艦を務めた、
ドイツ製の名鑑である。

日清戦争の雌雄を決した黄海海戦では、160発近くの命中弾を
浴びるも、作戦能力を失うことは無かった。

その後威海衛にて雷撃を受け、日本軍に捕獲されることを恐れ自沈。
引き上げられた残骸を使って、天満宮の神官の一人が 私財を投じて
”定遠記念館”を作ったという。

参道から上がっていくと、突き当りを右に折れたところにある。

もっと見る⇒定遠

太宰府天満宮の定遠館―遠の朝廷から日清戦争まで
太宰府天満宮の定遠館―遠の朝廷から日清戦争まで


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2010年09月09日

太宰府天満宮 歴史

太宰府天満宮の歴史は、平安時代初期に遡る。

陰謀によって左遷されて来た菅原道真公が、太宰府にて没し、
その遺骸を運ぶ牛車が、天満宮がある場所で動かなくなったため
ここに道真公を祀る廟を建てた。

その後、不幸続きの都の人々は、道真公の祟りに怯え、
さらに立派な社を建立。

つまり天満宮は、もともと祟りを鎮めるためのものであって、
学問の神様として敬われるようになったのは、随分後の時代からのようだ。

もっと見る⇒菅原道真

CRBI-5117 その時歴史が動いた 時代のリーダーたち編 「天神・菅原道真 政治改革にたおれる」
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